2010夏準決勝(vs早実)観戦記&総括(中)
〜"歴史の夜明け"流した涙に変化〜 2010/07/31





 固唾を呑んで一塁側が見守った千葉投手の注目の立ち上がり、それは実に申し分ない ものでした。先頭打者への初球、得意のスライダーから入りましたが、完璧に低めに コントロールされており、最後はセカンドゴロに。打ち取った瞬間、学院応援団の 地鳴りのように響き渡る声援がマウンドの千葉投手にも伝わったはずです。続く2番 打者もピッチャーゴロでアウト。ここ数試合観戦している佐生卓也氏(S63卒)も、 「千葉は本当に安定してるなー。素晴らしい!」と感心しきり。木田茂監督(S50卒) が最も警戒していた3番安田選手には痛烈なセンター前ヒットを打たれたものの、4番 打者に対しては落ち着いてスライダーでショートゴロに斬って取り、無難なスタートを 切りました。

 何せこの準決勝までの5試合、千葉投手は足がつった初戦以外すべて完投、自責点0の 防御率0.00。準々決勝の東亜学園戦を完封してからというもの、周囲の注目度は飛躍 的に上がりました。「早実を1点以内に抑えたいです」、結果を出してきているだけに 千葉投手のこの言葉には説得力があり、当然ながら期待感も高まります。こうした好投を 支えているのは、スライダーを始めとする変化球。他にはチェンジアップや、特に右 打者に対して放るスクリューボールなどですが、これらが絶妙に配球されることで球速 120キロ台半ばのストレートも生きるのです。スタンドから見ていても高校生相手では そうそう打たれる気はしません。これまで失投と言えるような球はほとんどなく、低めに 制球されたボールは相手打線に内野ゴロの山を築かせ、ここぞという場面でもダブル プレーでピンチを凌ぐことが再三見られました。

 しかし、早実は甘くはありませんでした。と言うよりも、しっかりと千葉投手を研究し、 チーム全体に"千葉攻略法"の指示が徹底されていたように感じました。「早実打線がガン ガン振り回してきてくれたらありがたい。でも、センター返しとかされたらきつい」、 試合前木田監督はこのように語っていましたが、その予感が残念ながら的中したのです。 2回に入り、準々決勝では一つも出さなかった四球をあろうことか先頭に与えてしまった ところからリズムに微妙な狂いが出始めます。バントできっちり送られると、次打者こそ 三振に取って二死までいきますが、8番に三遊間を破られまず1点。これが今大会初の 自責点となったわけですが、続く9番にはセンターオーバーの2塁打で早々に2点を失い ました。3回も、二死までいきながら4番を四球で歩かせた後、5番にセンターオーバー フェンス直撃のタイムリー2塁打、過去5試合ピンチになっても踏ん張ってきた千葉 投手がものの見事に打ち込まれました。

 早実打線は決して大振りしてきていたわけではありません。千葉投手の生命線である 低めの変化球をことごとく見極め、多少甘く入ってきた球を基本はセンター方向に打ち 返す、それも当てるのではなくしっかりと芯で捕え振り抜くというものです。コーナーを 丁寧に突く投球もこの日ばかりはほとんどボールと判定され、その挙げ句痛打を食らう… スタンドから見ていてもえっ?と思う場面は少なくはなかったのですが、主審の判定は 絶対。それを乗り越えてこそ真のエースというものでしょうが、結果的に冷静なはずの 千葉投手も最後まで調子を取り戻すことは出来ませんでした。それどころか、普段には ないフォームの力みが次第次第に見られるようになり、悪循環に陥ってしまった印象を 受けました。

 「早稲田のエースとして何が何でもマウンドを守ります」、実は千葉投手と筆者は事前に 固い約束を交わしていました。そもそも千葉投手は、ここに行き着くまでに随分と 人間的にも苦労を重ねてきていたのです。昨年までは、打たれたり仲間がエラーしたり すると悔しさが表情に出て試合を壊すことが度々ありました。そこで、新聞にも取り上げ られましたが、精神面を強化して真のエースとなることを目指すため昨年12月、木田 監督の勧めもあって千葉県の松戸国際高校に一人武者修行に出ました。なぜ松戸国際 なのか?それは木田監督も尊敬する名将・石井忠道監督がおられ、石井監督から直接 指導を受けられるということと、木田監督自身学院に入るまでは投手だったことから 「投手はマウンド上で孤独に耐えなければならない」という持論があり、そこで決断した ものです。その結果、千葉投手は飛躍的に成長し、学院に戻ってきたときには一回りも 二回りも大きくなっていました。実際、昨秋関東一高に四死球を連発、めった打ちにも あって5回コールドを喫した投手が、春には日大桜丘に0−1、その後センバツ帰りの 前橋工業や堀越などの強豪校との練習試合では負けない投手へと変身したのです。 「コースを丹念に突いていけばどんな打者でも抑えられる」、自分の力に自信を持った 千葉投手は堂々とエースナンバーを付けるにふさわしい投手へと上り詰めました。

 そんな中迎えた一戦。憧れの神宮球場で、且つ、聞くところによりますと受験で不合格 となった早実が相手、燃えないはずがありません。でも、これまでの相手とは一味も 二味も違うことは確かでした。4回も四球から苦しいピンチを迎え、ここは辛うじて 相手の拙い走塁に助けられましたが、その裏2点を取り返した直後、先頭の2番打者に セーフティバントを決められ、警戒していた3番にはライト線のタイムリー2塁打、 その後犠牲フライであっという間にまた3点差へと突き放されてしまいました。得点した 後の守りではきっちりと相手打線を封じリズムを作ってきた学院ですが、この展開は 非常に厳しいものでした。そして7回、さらに1点を失ったところでマウンドを同じ 3年生の渡辺投手に譲って降板、被安打10の6失点、守り抜くと誓った千葉投手の "夏"は終わったのです。それでも千葉投手は試合後、「実力は出し切りました。もっと 鍛えて、上(大学)で頑張ります」と、次なる舞台に向けて話してくれました。きっと 今回の経験を、六大学野球という学生野球最高峰の世界で活かしてくれるはずです。 これからも注目していきたいと思います。

 一方、攻撃面は悔しいですが早実に一日の長があったことは認めざるを得ません。 前述した通り、出てくる打者出てくる打者、千葉投手が投じる低めへのスライダーには 一切手を出さず、甘く入ってくる球をセンター方向にきっちりと打ち返すという徹底ぶり。 普段から意識の高い練習を行っていることが窺がえました。これに対し学院は、先発した 2年生内田投手の速球に振り遅れ、バットが空を切るばかり。それも高めの完全なボール 球に手を出す始末。東亜学園戦を見て学院は速い球に弱いと早実・和泉監督はおそらく 判断し、主戦の鈴木投手よりも球威のある内田投手を先発させたのでしょうが、そこを 打ち崩せなかったのは相手の思う壺でした。

 しかし、それでも見せ場はちゃんと作ってくれました。2点を先制された直後の攻撃 では、先頭の4番玉置選手が四球で出塁、前の試合から5番に昇格している森田選手が センター前にチーム初ヒットで続きチャンス拡大。残念ながらこの場面は2塁ランナーの 玉置選手がキャッチャーからの牽制で刺されて得点には結び付きませんでしたが、コント ロールに苦しむ内田投手から点を取るのは時間の問題との期待も抱かせてくれました。 でもそこは早実、調子が思わしくない(?)内田投手をスパッと諦めて、4回から鈴木 投手にバトンタッチしました。「う〜む、やるなぁ」と、筆者は心の中で思わず唸って しまいましたが、ところがどっこい、相手主戦に対し学院はいきなり先頭2番の武居 選手がレフト前ヒット、3番の岸捕手が四球で再び無死1、2塁に!4番玉置選手が 送りバントを手堅く決め、森田選手凡退後、6番の菱倉選手がセンターに抜ける2点 タイムリーを放ちました。一塁側スタンドは全員肩を組んで"紺碧の空"の大合唱! 早実が相手の応援席からこの"紺碧の空"を聞いた気持ちは、我々が2回、3回の 守りのときに聞かされたときと同じはずです。やっぱり"早早決戦"は複雑?特別?

 2−6と4点に差を広げられた7回の攻撃では、一死から6番菱倉選手が気迫の ヘッドスライディングで出塁。二死後、千葉投手に代わった8番渡辺投手が初打席で センター前ヒット!菱倉選手が一気に3塁を陥れようとしたところ、慌てたセンターが 大暴投して送球がカメラマン席に入りテイクワンベース、楽々3点目を奪いました。 なおも二死2塁、相手のミスに乗じてこれまでも点を取ってきた学院だけにここで さらに追加点といきたかったのですが、後続はありませんでした。結局この後8回、 9回は三者凡退で終わり、注目の早早決戦は3−7、学院史上初の決勝進出はまたも なりませんでした。試合後泣きじゃくる選手達、しかしその涙はこれまで多くの 先輩方が流した涙とは明らかに質も、味も違います。彼らの涙は、手が半分届いていた "甲子園"に行けなかったことであり、力を出し切れず無念の思いからこみ上げる涙 ではありませんでした。2010年"夏"が残してくれた遺産は、間違いなく学院の 歴史において大いなる転換をもたらすことになるのです。・・・(次号へ続く)



2010.07.31
(文責:広崎正隆 S63卒)