2010夏準決勝(vs早実)観戦記&総括(下)
〜『全国制覇!!日本一』流した汗は嘘をつかない〜 2010/08/02





 「#みやこのいぬゐ〜わ〜せだなる〜 ときわのもりの〜けだか〜さを〜」、世間の注目を 浴びた早早決戦、勝者と敗者にWASEDAが分かれた後、三塁側からは早実の校歌がおも むろに響き渡りました。応援団(早実的には応援委員会)にチアガール、そして応援そのものに 慣れた関係者にファン、統率の取れたスタンドは最後までまさに早稲田大学とそっくりのスタ イルで試合を締め括りました。一塁側で黙ってその校歌を聞く学院関係者の胸中、悲しみ、 悔しさはいかばかりか、平成2年卒の宮坂孝氏が号泣していたのが大変印象的でしたが、 おそらくは誰もが同じ思いだったのではないでしょうか。何を隠そう、筆者も試合中に学院が 得点したときから涙目で、きっと周囲に人がいなければ宮坂氏以上に泣き暮れたに違いあり ません。

 早実の校歌が終わり、さあ次は一塁側から"都の西北"だと思ったのですが、校歌は流れ ませんでした。それはこの試合が単なる1試合ではなく、WASEDA同士の歴史的一戦で あり、試合中に再三"都の西北"を歌い続けてきたことから最後は早実に配慮したと、筆者は そう受け止めました。学院側は歌わない、それを確認して神宮を後にしようとする早実応援団、 とそのとき急に"紺碧の空"が学院側から始まりました。

 言わずもがな、"紺碧"は学院・早実 共通の応援歌。負けた悔しさをぐっとこらえ、学院から早実に早稲田の友情、そして決勝での 勝利を祈ってのエールを高らかに贈ったのです。慌てて早実側も"紺碧"の大合唱、神宮 球場はさながらWASEDA一色に染まりました!早実・和泉監督が、「早稲田は神宮を貸し 切ったようなものですごい」とインタビューで語った通り、敵味方を超越した瞬間で、球場に いたすべての観客が得も言われぬ感動を覚えたと思います。

 しかし、スタンドとは打って変わり試合後のロッカールームでは、選手達が皆身動き一つせず 泣きじゃくっていました。あと2つ勝てば…これまでは夢であった全国の舞台がすぐそこまで、 まさに手の届くところまでチャンスが訪れたのですから、その涙は単に敗者となったことでは なく、"甲子園"への道が閉ざされたことへの絶望感、悲哀であったことは想像がつきます。

 千葉投手を救援し7回一死から登板した渡辺投手は、「悔しいです。神宮まで来れたことは誇り ですが、悔いが残らないというのは…やっぱり負けたら残ります」、4番ながら今大会は決して 満足のいく結果を残せなかった玉置選手は、「ここまで来れるとは思いませんでした。うれしいのと 同時に、でも手が届くところに甲子園があったのでどうしてもそのことを思うと悔しいです」、この 二人の言葉がチームの本音を代弁するものでしょう。

 早実が引き上げてもなお、学院はしばらく神宮球場から動けませんでした。それだけショックが 大きかったわけですが、ようやく選手が揃い組んだ最後の円陣で木田茂監督(S50卒)は、 「お疲れ様。学院の歴史において君たちは立派に名前を残したし、またいろんなOBが君たちの 活躍を見て勇気や自信を得たと思う。負けたことは悔しいし、甲子園行きたかったけれど、この 想いは後輩である2年、1年生が継いで行くもの。3年生は学院で培ったこの経験や仲間という ものを大学に上がっても、社会に出ても大切にしてほしい」と、指揮官として労い、そしてまた 将来に向けてのはなむけの言葉を3年生に贈りました。

 また、OB会を代表し富岡隆臣会長 (S55卒)は、「試合後スタンドから君らに飛んだ声は何と『ありがとう』だった。それだけ君たちの 活躍にはみんな感動したし、希望を持たせてもらった。本当にありがとう。3年生がここまで 頑張ってくれたことで、これからはベスト4がベースになる。1、2年生は心して、ぜひともその先を 目指してほしい」と語りました。

 戦いが終わり、重圧から解放された3年生、本当にご苦労様でした。全国4000余りある高校 野球部で最後まで涙を流さないチームはもちろん1チームだけで、他はどこかの時点で挫折を 経験します。1試合でも長くやりたい、どの球児も願いは一緒、その意地と意地がぶつかり あって勝敗が決まる、でも負けたらもう二度とチャンスはない、どの高校競技にも言えますが 何とも酷な世界です。毎年こうした光景を見てきていますが、ときにはそれが初戦であったり、 失礼ながらときには格下相手であったり、不本意な形で終えてしまうケースの方が圧倒的に 多いものです。

 その点今年の代は、学院の歴史の中で過去最高に並ぶベスト4、東京では 最高の舞台"神宮球場"で2試合もやれました。さらには1万5000人の大観衆が見守る中での 早実との対決と、「こんな幸せなことはないよな」(木村孝之氏 S46卒)と、OB誰もが羨んだ ものです。

 しかし、彼らの彼らたるゆえんは、実は最初から結束強い代ではなかったことです。昨年、 彼らが2年生でまだ先輩がいた前チームのとき、練習に参加しない時期もありました。同期の 中でも考え方が様々で、詳細はあえて申しませんが、もしかしたら空中分解していた可能性 だってある、当時はかなり手を焼く代だったのです。でもそんな代が、昨秋木田監督が就任して 以来正面から向き合う指導を受け、相次ぐ強豪校との練習試合で意識も高まり、次第に1つの チームとして形になり始めました。大会に入ってからも、一戦一戦勝ちあがるにつれベンチ入り メンバーだけでなく、ベンチには漏れたものの必死にスタンドから応援してくれる仲間とチーム 全体で勝つ喜びを味わい、それが言葉に表せないほどのまとまりになっていったのです。

 岸主将は、「個人的にはみんな力持っていると思ってましたが、最初は意思統一出来ませんでした。 でも木田監督に強いところと練習試合を組んで頂き、自分達でも十分戦えるということを分かった ことで神宮、いやその先を目標にまとまることが出来ました」と、当時のことをこう振り返ります。その 上で、「このチームは最高です。一致団結してベスト4まで来れました。このチームの主将を出来て 本当に幸せに思います」と、仲間に対する感謝の思いも話してくれました。

 どん底からのスタートが最後は史上最高の成績まで上り詰めた、これこそが 野球を通じて学ぶ人生の成功体験ですし、まただからこそ人生は諦めては いけないということを自分自身も、そして後輩達も感じることが出来た のではないでしょうか。

 今大会、準決勝までの6試合、首尾一貫して"1点にこだわる"野球スタイルで戦ってきました。 初戦の都秋留台戦も、次の都保谷戦もスクイズを絡めて先取点を挙げ、試合を有利に運び ました。「学院はスクイズを多用する」、こんなデータが相手に伝わり、都国分寺戦以降は非常に 厳しいマークを受けましたが、木田監督の基本方針は揺らがず、準々決勝東亜学園との大舞台 でも、虎の子の1点はスクイズで取りました。かつて学院は打って点を取るという憧れから打撃 重視に傾いた時期もありました。

 しかし、帝京や日大三高のような破壊力抜群のパワーまでは 身に付かず、力勝負での対決はろくな結果を導き出さなかったのです。そこから生まれてきた のが、徹底的に守備を鍛え守りからリズムを作り、少ないチャンスで何とか1点をもぎ取る、 まさに"木田野球"のスタイルなのです。ただでさえ練習グランドがなく、思う存分バッティング 練習が出来る日なんて、年間に数えるくらいしかありません。だからと言ってその劣悪な環境を 理由に負けるのは、単に自らを慰めるだけの言い訳に過ぎず、たった3年間(実質2年4カ月) しかない高校野球人生、わざわざ学院野球部の門を叩いて早稲田でやりたいと思って入って くる選手達に展望がない努力をさせることは指揮官としては最悪です。

 愚直なまでに、全国でも通用する投手力、守備力を作り、走塁を磨きあげて チャンスを拾っていく、勝つときは1点差で十分なんだという意識をチーム 全体が共有できてこそ、学院が強豪校と伍していける唯一の道だと言っても、 何ら過言ではありません。

 今年の快進撃はまさしく、"学院野球"が西東京の中でも立派に通用することを証明してくれ ました。今の時代、140キロ超の速球を投げる投手はざらですし、柵越えを連発するスラッガーも 随分と見かけます。東東京代表となった関東一高も、昨秋時点ですでに千葉投手が被弾する など、恐るべきパワーを持った高校球児はゴロゴロいるのです。しかし、それがどうでしょう。 今大会、学院は名だたる強力打線に対して1本のホームランも打たれていません。千葉投手も 渡辺投手もストレートは120キロ台にもかかわらず、です。

 これはまさしく、投手陣を岸主将兼 捕手が見事にリードし、タイミングを外して相手の打ち気をそらし続けたこと、さらには打ち取った 打球をバックもしっかり守り抜き、投手陣の緊張感を全く切らさなかったことに尽きます。相手 打線を一つ一つ封じ込んでいくことで、特に学院に対して負けるはずがないと思っていたチーム ほど焦りが生じ、そこに学院はつけ込む隙を見い出すことが出来ました。

 3年生が残した功績は図りしれません。「一戦ごとにチームはまとまり、成長した」(小関智也 助監督 H21卒)結果、56年間の歴史の扉を開いただけでなく、"甲子園"を夢から現実の 目標へと変えたのです。強豪校のように立派なグランドや設備もなければ、特待制度のような 優秀な選手を獲得出来る仕組みもない、学校自体も夏の大会があるからと言って野球部に対して 何ら配慮はなく、部もOB会も財政的に恵まれているわけでもない、あらゆることが「ないない 尽くし」の中での、これぞ快挙です。でも、やれば出来ることが分かりました。これから2年生、 1年生は3年生が勝ち取ったベスト4を基本とし、さらなる高みを目指していくことになります。

 早実戦の翌日からすでに新チームの練習は始まっています。木田監督の下には全国各地の 学校から練習試合の申し込みが相次ぐとともに、学院で野球をやりたいという中学生からも連日 問合わせが来ているそうです。確実にこれまでとは違い世間の注目度は高まっており、OB会と しましても本当にありがたいと思います。しかし、今回のベスト4がフロックと言われるようなことが あっては、3年生の努力に傷をつけてしまいます。すべては、次なる秋にどのような結果を出して いくか、そこに学院の未来はかかっていると言っても言い過ぎではないでしょう。

 "流した汗は嘘をつかない"目指すは「全国制覇!!日本一!」。野球部が 掲げるこのスローガンを今こそ、選手一人一人、木田監督始め首脳陣、そして 我々OB会が胸に刻み、堂々と挑戦しようじゃありませんか!

 最後になりましたが、歴史を築いた3年生の早実戦直後の言葉を披露し、3部に渡り ました観戦記及び総括を締め括らせて頂きます。皆様、本当にありがとうございました。



2010.07.31
(文責:広崎正隆 S63卒)




(前に後ろに右に左に再三の好守備で千葉投手を支えた柴田直輝外野手)
「ここまで来れたことは奇跡だと思います。神宮でプレーできて本当によかったです。ただ、もう 最高の仲間と野球をやれないことは残念です」

(クールに勝負強いバッティングでチームを引っ張った森田博貴外野手)
「一日も長く野球が出来てよかったです」

(データ分析に選手の体のケアまで屋台骨だった今駒龍太郎内野手)
「(ベスト4まで来れて)すっきりしました。(流した涙は)悔し涙じゃありません。みんなと野球が 出来て本当に満足してます」

(歴史を作り早稲田のエースとして存在感高めた千葉亮介投手)
「60人の部員が一体になって戦えたのは自分が学院に入って初めてです。応援もものすごく 励みになり、59人に心の底から感謝したいです」

(応援団長としてグランドとスタンドを一体にさせた岩崎友希外野手)
「スタンドでみんなをまとめて信頼を勝ち得たと思います。やり残したことはありません」

(内野の要、切り込み隊長としてチームに勇気を与えた中谷柾海内野手)
「野球もそうですが、勉強も苦しくて、みんなに支えられてやってこれました。幸せ者だと思い ます。悔いはありません。上(大学)で続けるかはこれからゆっくり考えます」

(三塁コーチャーとして勝利に導くGOを出し続けた津田賢吾内野手)
「最後までスタンドとベンチが一体となって全力プレーが出来ました。悔いはありません」

(憧れの神宮のマウンドで千葉投手を見事に好救援した渡辺拓投手)
「後輩には悔いを残さないよう、優勝目指してほしいです。神宮のマウンドに上がって、周りの 応援がとても力になりました」

(一度は投げたかったが…千葉投手の好投に納得の関口修兵投手)
「今まで何回も野球部を辞めようと思いましたが、続けてきてベンチにも入れて、辞めなくて 本当によかったです。(負けは)悔しいけれど、楽しかったです」

(ムードメーカーとして苦しいときもチームを鼓舞した足立浩之内野手)
「ベスト4まで来れたことは本当にうれしいですし、この仲間で出来たことを誇りに思います。 最高の仲間達でした」

(千葉投手を精神面から支えチームを第一に守ってきた時丸翔太外野手)
「この仲間と野球が出来て自分は本当に楽しかったです。ここまで学院が来れたのも仲間、監督、 コーチ、OBの方々、関係者の皆さんすべてのおかげだと思ってます。ありがとうございました」

(56年の歴史の扉が開いた"記録"をスコアに書き留めた尾木将士外野手)
「西東京ベスト4の一員になれたことを誇りに思います。こんなに長い夏になるとは思っていなくて 本当にありがとうございました。この悔しさは2年、1年が来年に生かしてくれると期待します」

(怪我続きも、一塁コーチャーとしてチャンスメークした関聖内野手)
「最後の試合、負けて後輩達が泣いているのを見て来年は絶対に行けると思いました。この代は 団結力半端じゃなかったです。とても楽しくやれました。満足です」

(早実戦でもタイムリーを放ち、気迫のヘッドスライディングを見せた菱倉広一郎外野手)
「タイムリーはよかったですが、最後のバッターとなったことは悔いが残ります。この悔しさをバネに これからもやっていきたいです。甲子園は後輩に託します。長く熱い夏に出来てよかったです」

(投手陣をリードし個性派揃いのチームもまとめた岸政孝主将兼捕手)
「この1年は短かったです。でもベスト4まで来て、テレビでは分からない早実の投手の球の伸び とかすごさを見れたことは後輩にも何か残せたと思います。早実のような打撃力を身に付けるには 練習が足りないと思いますが、自分達も守りを固めてここまで来れたので次も意思統一してやれば (甲子園に)届くと思います」

(4番の重責と戦い大会中も最後まで残って練習し続けた玉置航平内野手)
「今大会、打てなかった分は大学で絶対に取り返します。これからもぜひ応援よろしくお願い します」